何か書きたいけど、書くほど陳腐になりそうで。

語弊を恐れず言うと、広島に初めて行ったとき、バスから降りるのが怖かった。このアスファルトの下に、どれだけの人が眠っているんだろう。原爆ドームを見ながら思った。苦しみの中、あるいは一瞬のうちに、消えていった人がたくさんたくさんいる。そう思うと、地面を踏むのが躊躇われた。だけど、バスを降りないわけにも行かないので、いつもよりゆっくり、ステップを踏んだ。それからもう10年以上経つけれど、未だにこのときの感覚を覚えてる。多分、一生忘れられない記憶なんだろうな。この日になると、いつも思い出す。

毎度毎度愚痴になってしまって申し訳ないけれど、一向に治らない病気で毎日のたうち回っていると、周りの人の悩みとか苦しみにうまく共感できないときがある。必ずしも共感しなくてもいいのかもしれないけど、なんかもどかしい。自分の限界を感じる。

その上、ああ、今日は広島に原爆が落ちた日だったと思うと、何というか、非常にやりきれない思いがする。わたしよりよほど苦しんで、生きたかったのに生きられなかった人がいる。たくさんいる。自分は何を思い上がっていたんだろうと思う。病気は治らなくても、しっかり生きなければ、と思う。

こんなの、エゴでしかない。実際に被爆された方にとっては、迷惑かもしれない。そう考えたりして、毎年、どうしても悩む。そして、いつも結論は出ない。