一度社会的に死亡した今は、余生のようなものだなあと思う。

人生における分岐点はいくつもあって、病気と障害があるせいか、すべて生死に直結している。今、何度目の余生だろう。何回も死んで、そのたびになんとか這い上がってきた。それは、自分の負い目であるし、逆に矜持でもある。もしあのとき死んでいればと正直思うこともある。生きていて良かったと思うこともある。本当はどちらが良かったのか、わからない。多分、死ぬまで。

わたしは、欠けた人間だ。欠損した人間だ。自分自身、生きているのに値しないと思うこともよくある。そう言われたこともある。言われても、そこまで腹は立たない。ふうんと思う。生きても死んでも、そういう人が何ら責任を持てるものではないので、聞き流すことにしている。心の底では、あなたが死んだら?と冷めた目で思いながら。

ともかく、わたしは生きている。死にそうになりながらも、なんとか生きている。病気や障害のことを悲観して、早く死にたいと思うこともあるけれど、それでも具体的には何もせず、毎日呼吸を繰り返している。

薬を飲む。1日に何回も、ざらざらと流し込む。誤嚥するのではないかと思うこともあるけれど、飲み忘れることは、ほとんどない。遊びたい盛りに、出来る限り、医師の言いつけを守り、養生を中心とした生活を送っている。行きたい場所に行けない。やりたいことができない。わたしのしたかったことをして、楽しそうにしている人たちを横目に、仕方のないことだと我慢するのは、もう充分慣れた。人生は不平等だと、ずっと昔からわかっている。それでも、病気をうまくコントロールできない。諦めてきたことを数え始めると、絶望的な気持ちになる。

どうやって生きていったらいい?わからない。誰も答えを持っていない。それだけは、ずっと前から知っている。

それでも、生きていくしかない。多分、わたしには、綺麗に死ねる度量がない。運もない。だから、生きる。今のわたしには、それしかできない。あまり生きていたくはないけれど、わたしを今日まで生かしてくれた人たちのことを考えると、わたしはわたしを殺すことがどうしてもできない。この先、地獄しか残されていないのかもしれない。それでも、生きる。それしかできない。本当は薬も病院も大嫌いだけど、そのおかげで生きている。生かしてくれて、ありがとう。なんか遺書みたいになってきたけど、そういう意図はないです。余生のくせに、相当の覚悟がないと生きていけない。弱くて、ごめん。