競争から降りられない。

数日前に、発達障害のお子さんを持つお母さんらしき人のツイートを見て、なんかすごくもやっとした。そのときはうまく言語化できなくて、結局そのツイートが誰の発言だったのかも、詳しい内容ももう覚えていないけれど、わたしの場合、病気や障害を持ちながら社会に適応するために頑張りすぎて壊れたのに、ほんとはもっともっと頑張らないといけないのかと絶望したことだけ覚えている。わたしは発達障害ではないけど、家族がグレーゾーンなので、勉強のために、よく発達障害関連の人たちをフォローしているけど、その発言はなんかグサッと刺さってしまった。別の障害を持つ人間として、すごく胸に痛かった。言葉にするのは難しいけど、明確な痛みを感じた。

でも、その発言自体は正しい。健常者と同じ土俵で戦うためには、障害というハンデを抱えながらも、健常者以上に努力しないといけないときがある。わたし自身もずっとそうしてきたし、そこで苦しんでいる人も多い。生きるのは、どれだけ人間は平等だと言ったところで、その本質は競争だ。そして、それは完全に降りることができない性質のものだ。今日から一切競争しませんと宣言したところで、それが達成できるかはかなり怪しいと、わたしは思う。大体、人間が生きていくためには、お金やその他諸々がどうしても必要になるし、それはある一定の競争や基準をクリアした上で、手に入る場合が多い。生活保護だって、基準に合致するか、審査や選別がある。その是非は置いておいても、水際で受け付けてもらえない場合も多い。

それを考えると、やはり、競争を勝ち抜くためには、障害があろうと、努力しないと何ともならない場合がある。それはわかる。人間の生活は、概ねそういう感じで回っている。少なくともわたしはそう思う。間違ってるかもしれんけど。とりあえず、わたしはそういう価値観で生きてきた。過去形なのは、そうやって競争ばかり繰り返しているうちに、病気や障害がひどくなって、競争ができなくなって、ドロップアウトしたからだ。幸いにも、わたしにはある程度の貯蓄があったので、即、生死に関わるほどのダメージは受けなかった。貯金まじ大事。病気や障害持ちの人はほんと特に大事。過去の自分に感謝した。まじで。なんか話がずれてきたな。

元に戻すと、わたしは生存競争に負けた。正確に言うと、今のところ、負けている。このまま病気や障害が良くならなければ、公的扶助に頼るしかない。でも、それだって、確実に受けられるという保証はない。申請が通らないとか、水際でハネられるとか、そもそも病気の悪化で援助を受ける前に死んでいるかもしれない。いや、冗談じゃないよ。そこまで考えると、いつもわたしはもう一度、競争がしたいと心底思う。思うけれど、倒れる前以上に頑張れる気がしない。受けたダメージが大きすぎて、今現在もドクターストップがかかったままだ。病気や障害を持ちながら、頑張って、頑張って、頑張った結果がこれだ。笑えない。ここを読んでる人は、頑張りすぎないように、気を付けてください。取り返しがつかないことがあるかもしれません。それでも、頑張らないと生きていけない場合も多いんだけど。そういう経緯もあって、障害を持ってても、頑張り続けないといけないという趣旨のツイートは、ものすごく刺さった。頑張りが足りなかったのではないか、ほんとはもっと頑張れたんじゃないか。そう思った。

それと同時に、病気や障害を持ってても、健常者以上に頑張らないといけないというのは、ある意味でおかしいのではないかとわたしは思う。やってみてわかったけど、物理的に無理。それぞれの状態に合わせて働けたらと思う。本音を言うと、水曜日は休みがほしい。プレミアムフライデーより、水曜日…。