魚拓見つからないから、記憶を頼りに書いてみる。

かつてはてな村には、店長ことmk2さんという、すげえ面白い文章を書く人がおりましたとさ。あれは未だに忘れらんないね。毎日、更新を楽しみにしてました。あんなに密度の濃い、なおかつあんなにもぐいぐい読ませる文章は、なかなかお目にかかれるものじゃないなと未だに思っています。影響受けた人、たくさんいると思う。わたしもその一人です。借金玉さんもそうじゃないかなと密かに思ってはいるんだけど、どうなんだろ。誰か聞いてきてくださいなんて。まあ、それはいいんだ。このエントリの趣旨から始めよう。

事の発端は、ふと思い出したことでした。かつてmk2さんは、最初のブログで、感性についての話をしていました。経営するコンビニのバイトの子の話です。何分、数年前のことなので、魚拓もないし、正確には思い出せないのですが、そこでは子供のような感性が鈍る瞬間について書いてありました。わたしの記憶違いでなければ。それがものすごく印象的で、わたし自身の体験から見ても、非常に興味深いものでした。発端は、コンプレックスです。わたしは、今ではこうして文章などを書く機会があり、それなりにまともな振りをできていますが、実態としては、病気で生活は破綻しており、そのせいか、未だに大人の生活の様式に合わせられない部分がたくさんあります。内面的には、文字通り小さな頃のまま、大人になってしまいました。社会性は無駄にあるので、ほとんどバレませんが、日常生活では、とても大きな声で言えないことをたくさんしています。ガチです。詳細を書けないので、意味わかんないと思いますが。ごめん。そういうこともあって、わたしは、mk2さんが例のエントリを公開したときに、自分のことのように読みました。手前味噌で恐縮ですが、わたしもよく子供のような感性を持っていると言われます。それをふと思い出しました。このバイトの子、すごくわかる。わたしに見える世界も、既知のはずなのに、いつも真新しい発見に満ちていて、子供のように楽しんでいる。なるほど、子供のような感性と他人から言われている意味がよくわかった。思い上がりかもしれませんが、当時そう思いました。目から鱗でした。

でも、そう認識したとたんに、怖くなりました。なぜなら、そのエントリに出てくるバイトの子は、感性が鈍ったと書かれているからです。なるほど、わたしには子供のような感性があるらしい。でも、それはこのバイトの子のように、鈍ってしまう時が来るのか。それは怖いと思いました。なくしたくない。でも、エントリにあるように、人間が社会で生きていく限り、それは避けられないことかもしれない、と。答えを求めるように、何度も何度もエントリを読み込みました。それでも、やはり答えはわかりませんでした。

それから、何年も経ちました。正直、ほとんどエントリのことは忘れていました。思い出したのは、偶然です。きっかけすら忘れた。些細なことです。でも、こんなにも不完全な自分は、この先社会で生きていけるのだろうか。昔から、そう思うことが多かったですが、やってみると意外と何とかなるもので、感性はある程度無事なまま残りました。多分、あまり磨耗していないと思います。代わりに処世術は身に付きましたが。そのおかげで守れた気がします。まあ、でも、感性あっても、普通に生きてる分には、ぶっちゃけそんなに人生変わんないですね。本人にとっては普通のことだし、丹念に比較しないとほんとのところはわかんない気もします。普通って何って聞かれると難しいけど。だから、一種の呪いのように考えてた、あのエントリのバイトの子は、今どうしてるんだろうと思います。生きていく分には、鈍ってた方が楽ではあるんですが。この先が見てみたい。