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ユニゾンのライブ行って、たかおさんにぶちのめされた件。

いやー、我ながら、今更何ヵ月前の話してんのかという件ですが、イジーのツアーの中盤に、ライブ中に耳が壊れました。ツイッターで何度か書いたので、覚えてる方もいらっしゃいますね。きっと。

ニゾンをdisる意図は全くないのですが、ロックバンドのライブって、最前ブロックやばいなと。下手のスピーカー前にいたので、特に左耳が。何度か書いてますが、もともと聴覚過敏なので、大きい音は苦手なんです。ユニゾンを好きになる以前は、ロックバンドのライブに行ってみたことがなく、スタンディングもほとんど慣れてなくて、一曲目が始まった瞬間に体当たりして激しく踊りまくる人がいることも知らなかったです。でも、こういうのは、あのときだけなのかなという気もしてきたけど。逃げ場がなくて、結構怖かったですね…。

まあ、それは置いといても、大きな音が苦手なのになぜ最前ブロックに行ったのかと言うと、連れがいつも最前で見る人で、番号も若かったし、近くで見てみたいなと思って、ほいほいついていったのが原因です。いつもは、真ん中かもっと後ろで見てました。だから、耳も特に不調にはならなかったし、耳鳴りがしても、しばらくしたらすぐ治まっていたんですね。それもあって、実は最前大丈夫なんじゃね?!みたいなことを思ってしまったんですよ…ほんと出来心ですよね…。

それで、結局、始まって一時間も経たないうちから、この音量無理だわ…一刻も早くここから離れたいと思い、夢中で見てた連れにラインして、一旦会場の外に出ました。扉を出たところに、優しいスタッフさんがいて、椅子に座らせてくれたり、水をくれたりして、大変感謝しているのですが、扉の向こうでは大音量で音楽やってるのが、かなり伝わってくるんですよ。そのときは、この距離でもダメだったんです。とてもじゃないけど、耐えられなかったので、スタッフさんにお礼をして、早々に立ち去りました。これがきっかけで、後日、ライブ用の耳栓を購入しました。ライブよく行く人は、ほんと気を付けてください。スピーカー前は、場合によっては、耳が爆死します。わたしは、早めに会場を出たので、聴力が元に戻りました。最後まで見たかったので、すごく悔しかったですけどね…一生忘れられない気がします。

もともとイジーは、途中退席したものも含めて、ざっくりわけて、ツアーの前半、中盤、後半の3公演に参加しました。後半の公演は、発券したときにすごくびっくりしたんですが、前から4列目だったので、嬉しかったけど、耳はほんとどうしようと不安で仕方なかったです。贅沢な悩みだなあとは思いますが、これ以上耳を壊すわけにもいかず、ばっちり耳栓をして行きました。ライブ終わるまで、無駄にすげえドキドキした。耳栓してても、やっぱり耳に来るところもあるし、気が気じゃなくて、近くで見れてすごく嬉しかったけど、ほんと何しに来たんだろうというくらい、疲れました。

そこでわかったのが、わたしの場合、一番ドラムがやばいということです。途中退席した公演では、ギターの音がつらかったんですが、後半の公演では耳栓のおかげで、ギターはほとんど大丈夫でした。でも、ドラムは、首筋から胸にかけて、かなりの振動が伝わってきて、たかおさんのパッションをこれでもかというくらいに感じました。息をするのが苦しかったです。それくらいにすごかったです。耳栓ではどうにもならないところなので、ちょっと絶望しました。こんなわたしは、もうこれ以上ユニゾンのライブに参加できないのでは?とか思ったりしました。病気で体力とかあんまりなかったせいもあるけど。たかおさんすごすぎた。この一言に尽きます。行って良かった(ドM)。

それから、ユニゾンのライブには行っていません。まだ怖いなあという気持ちもあります。耳栓すればいいじゃんと思ってるのですが、たかおさんのドラムのことを考えると、なるべく後ろの方で見たいと思っています。それでもダメだったら、CDとDVDで楽しむしかないかなと。ユニゾンのことは、ずっと好きでいたいので、今後はライブはどうしたもんかなあと思ってはいます。めっちゃ行きたいんですけどね…。

たぶちさん、まじ鬼畜(褒めてる)。

今日はすごい文章書けるので、もうひとつユニゾンの話題、行きまーす!よろしくお願いしまーす!セクマイのことも忘れてませんよ!大丈夫です!

前回もちらっと書いたように、わたしは、さいとうさんのポテンシャルが相当やばいやつだと思っているわけですが、そこにたぶちさんが難易度ちょう高い曲をぶつけてくるわけじゃないですか。たかおさんもいい意味で歌に譲るということをしないように見えるので、要は三者のぶつかり合いですよね。ギリギリの調和というか、それがユニゾンだと、個人的には思っているんですけど、最近の曲だとミックスジュースがやばさの極限だと思うんですよ。息継ぎできる間が極端に短くて、でも、声を張らなければ伝わらない。その上、ギターも弾くわけで、ロックを突き抜けて、曲芸みたいな感じだなあと思ってしまいました。失礼ながら。スクールオブロックでも、ミックスジュースのライブ音源を流してましたけど、最後のところ、歌うの苦しいんですよね。わたしも自己満足で何度か歌ってみたけど、音が詰まりすぎてて、息継ぎが大変タイトなことになっておりました。深呼吸したくなる。たぶちさん、まじ鬼畜(褒めてる)。CD音源だとわかりにくいですが、ライブとかで歌うのは、ほんと大変だと思います。わたしだったら、正直他の曲にしたい。それくらいには、大変な曲だと思います。すごく好きなんですけど、さいとうさんが大変。でも、聴きたいんですよね。ジレンマ。

さいとうさん、わたしの知る限り、ストイックな人だから、こんなこと言われるのは微妙だろうと思うんですけど。この曲に限らずですけど、いつもものすごいものを見せてもらってるなと感じます。ほんと喉気を付けてほしいなあ。またポリープできたら、と思うだけで怖いですね。たくさんライブしてくれるのはすごく嬉しいけど、喉ほんと大事。息継ぎもほんと大事ですね。たぶちさんは、息継ぎ嫌いらしいですけど。まじ鬼畜(褒めてる)。それも歌いこなせると、すごく楽しいんですよね。そこまでが大変ですけども。たぶちさんの曲は、ほんとやりがいがハンパないです。中毒性がありますね。

それにしても、さいとうさんのことばっか書いてますね。一応、ファンになりたてのころは、たぶちさんが一番好きだったんですが。そこから、気がついたら、いわゆる箱推しになってました。いやー、沼は深いですね。

ユニゾン好きとか言ってるわりに、全然書いてなかった。

いやーまじこの話題、ここでははじめてっすね!ツイッターでは、たまに書いてるけど、頻度は高くないので、ユニゾン関連のフォロワーさんには、申し訳ないです。しんどいときが多いから、病気の話題が多くてねえ…。各方面にすみません!

前置き長いな。そうです、今回のメインはユニゾンの話題ですね。ユニゾン知らない方に一言だけ補足しとくと、ほんとは、横文字でかっこいいバンド名なんですけど、長いので単にユニゾンとだけ書いてます。色々と不親切でごめん。

そんなユニゾンを知った経緯としましては、完全に家族の影響です。家族は、タイバニを見てて、結果的にユニゾンを知り、まあつまりオリオンのころからユニゾンが好きらしく、わたし自身は、オリオンは知らなかったんですが、家族はすごくハマっていました。でも、それ後で知った。遅かった。

その数年後、家族と一緒に出掛けたとき、車の中で夜な夜なを大音響でかけていたんですね。ダグアウトが出たあたりです。わたしは昔から聴覚過敏なので、夜な夜なを大音響で聴くのは、正直微妙な心境だったんですが、聴いているうちに、妙に耳に残るし、歌詞が不思議だと思ったし、これはなんだろうみたいな感じで、まあなんか色々考えながら聴いていました。長いような、短いような、不思議な時間でした。そして、曲が終わると、もう一度聴きたいとごく自然に思いました。今から思うと、多分、それがユニゾンを好きになったきっかけです。

夜な夜なが好きだと言ったら、家族が帰宅してから、ダグアウトを貸してくれました。そこではじめてライブ映像も見て、今まで好きになったアーティストと全然違うことに気づきました。それまでは、こんなにテンポの速いゴリゴリの邦楽のロックバンドを聴いたことがあまりなくて、こんな早くてもギター弾きながらでもこんなに歌えるんだ?!とびっくりした覚えがあります。そんな人、見たことがありませんでした。さいとうさんやばい。あと、言うまでもなく、メロディーとかすごくキャッチーで、夜な夜なも一回聴いたら断片的に覚えてしまったので、作曲者の才能も感じました。たぶちさんすごい。それに、ドラムがなんかすごいパッションを感じました。たかおさんぱねえ。

わたしは、アマチュアで小説やエッセイを書いてるんですが、それと同じくらい自己満足で歌うことが好きで、ほぼ毎日色んな曲を一人で歌っております。単なる物好きです。完全なる自己満足です。カラオケは年に数回しか行かないんですけど、ありがたいことに、住宅事情かたまたま良かったんですね。だから、夜な夜なをどんなに大変か体感するために歌ってみたんですね。結論としては、慣れてないと、曲自体がすげえ早いし、息継ぎすくなくてタイミングが難しい。抽象的な歌詞なので、覚えにくい箇所がある。ほんとにこのボーカルの人はよくやっているなと思いました。一応、個人的には、ユニゾン全員のファンなんですが、思わず、さいとうさんのファンになりかけました。あれはすげえよなあ…。

 

競争から降りられない。

数日前に、発達障害のお子さんを持つお母さんらしき人のツイートを見て、なんかすごくもやっとした。そのときはうまく言語化できなくて、結局そのツイートが誰の発言だったのかも、詳しい内容ももう覚えていないけれど、わたしの場合、病気や障害を持ちながら社会に適応するために頑張りすぎて壊れたのに、ほんとはもっともっと頑張らないといけないのかと絶望したことだけ覚えている。わたしは発達障害ではないけど、家族がグレーゾーンなので、勉強のために、よく発達障害関連の人たちをフォローしているけど、その発言はなんかグサッと刺さってしまった。別の障害を持つ人間として、すごく胸に痛かった。言葉にするのは難しいけど、明確な痛みを感じた。

でも、その発言自体は正しい。健常者と同じ土俵で戦うためには、障害というハンデを抱えながらも、健常者以上に努力しないといけないときがある。わたし自身もずっとそうしてきたし、そこで苦しんでいる人も多い。生きるのは、どれだけ人間は平等だと言ったところで、その本質は競争だ。そして、それは完全に降りることができない性質のものだ。今日から一切競争しませんと宣言したところで、それが達成できるかはかなり怪しいと、わたしは思う。大体、人間が生きていくためには、お金やその他諸々がどうしても必要になるし、それはある一定の競争や基準をクリアした上で、手に入る場合が多い。生活保護だって、基準に合致するか、審査や選別がある。その是非は置いておいても、水際で受け付けてもらえない場合も多い。

それを考えると、やはり、競争を勝ち抜くためには、障害があろうと、努力しないと何ともならない場合がある。それはわかる。人間の生活は、概ねそういう感じで回っている。少なくともわたしはそう思う。間違ってるかもしれんけど。とりあえず、わたしはそういう価値観で生きてきた。過去形なのは、そうやって競争ばかり繰り返しているうちに、病気や障害がひどくなって、競争ができなくなって、ドロップアウトしたからだ。幸いにも、わたしにはある程度の貯蓄があったので、即、生死に関わるほどのダメージは受けなかった。貯金まじ大事。病気や障害持ちの人はほんと特に大事。過去の自分に感謝した。まじで。なんか話がずれてきたな。

元に戻すと、わたしは生存競争に負けた。正確に言うと、今のところ、負けている。このまま病気や障害が良くならなければ、公的扶助に頼るしかない。でも、それだって、確実に受けられるという保証はない。申請が通らないとか、水際でハネられるとか、そもそも病気の悪化で援助を受ける前に死んでいるかもしれない。いや、冗談じゃないよ。そこまで考えると、いつもわたしはもう一度、競争がしたいと心底思う。思うけれど、倒れる前以上に頑張れる気がしない。受けたダメージが大きすぎて、今現在もドクターストップがかかったままだ。病気や障害を持ちながら、頑張って、頑張って、頑張った結果がこれだ。笑えない。ここを読んでる人は、頑張りすぎないように、気を付けてください。取り返しがつかないことがあるかもしれません。それでも、頑張らないと生きていけない場合も多いんだけど。そういう経緯もあって、障害を持ってても、頑張り続けないといけないという趣旨のツイートは、ものすごく刺さった。頑張りが足りなかったのではないか、ほんとはもっと頑張れたんじゃないか。そう思った。

それと同時に、病気や障害を持ってても、健常者以上に頑張らないといけないというのは、ある意味でおかしいのではないかとわたしは思う。やってみてわかったけど、物理的に無理。それぞれの状態に合わせて働けたらと思う。本音を言うと、水曜日は休みがほしい。プレミアムフライデーより、水曜日…。

誰も待ってない。

昨日はキュウソとユニゾンが対バンしていて、非常に行きたかったんですが、外せない用事があった上に、その待ち合わせで一時間半待たされ、色んな意味である意味順調に行けなかったため、今日も音楽とは無縁のエントリを書こうと思います。恨んではいないよ。ほんとだよ(うそくさい)!

さて、まあそれは置いておきまして、ツイッターでの予告通り、セクマイの話をします。需要あります?心配になってきた…。どう考えても、全部自己満足なんですけども。もしよければ、お付き合いください。

一部の方はすでにご存じのように、わたしはいわゆるセクシャルマイノリティです。もっと詳しく言うと、バイセクシャルです。まあ、これ聞いてもここを読んでるほとんどの人は、わたしがバイでも何でも、生きてる上ではあまり関係がない人が多いだろうと思うんですが、とりあえず分類上は、という話です。どうもこんばんは、バイです!いや、こんにちはですっけ?

そのへんは置いといても、わたしの場合、ツイッターやブログを出会いとかの目的で使うという発想がそもそもあまりなく、呟きたいときに呟くという機能の方を重視しているので、フォロワーの皆さんには、ほんと愚痴垂れ流してすみませんと謝る他ありません。ごめんなさい!愚痴の他には、情報を得たりするという目的もありますね。あとは、時々交流できたらいいなと。まあ、それくらいなんですけども。ネット上でひきこもってると言われたら、その通りです。

でも、そこに救われるなと思うときがあります。リアルで会ったことがないので、どのフォロワーさんも、顔も知らない、ほんとの名前も知らない関係性なんですが、バイですって言っても幸いにも特に叩かれないし、わたしにとってはある程度安全な居場所という面もあります。リアルでやると、アウティングされる場合もあるし。悪意があったり、なかったりしますが。どっちも良くはないけど。バイですって言いやすいのは、圧倒的にネットの方でして、ありがたいことにいいガス抜きになっています。リアルでもネットでも、わたしの場合、やっぱり100%隠すのは、余程頑張らないと無理だとわかりました。最初はネットでも隠してたんですが、長続きしなかったですね。今はすごくすっきりしています。

あと、そのへんで追加的に補足しとくと、やっぱりセクマイあるあるだと思うんですが、リアルで友達相手のカムアウトだと、「もしかしてわたしのこと狙ってる?」とか思われて会いづらくなる可能性があるので、言いにくいですね。そういう風に取らない人もいるんですが、見分けがつかない場合が多くて、結構不自由だなと思います。もちろんネットでも色んな人がいますが。ツイッターだと、ブロックとかできるのは楽ですね。そもそもひっそりとツイッターやってるので、これからもひっそりと炎上などには気を付けます。大したエントリじゃないのに、長くなったな。すんません。

魚拓見つからないから、記憶を頼りに書いてみる。

かつてはてな村には、店長ことmk2さんという、すげえ面白い文章を書く人がおりましたとさ。あれは未だに忘れらんないね。毎日、更新を楽しみにしてました。あんなに密度の濃い、なおかつあんなにもぐいぐい読ませる文章は、なかなかお目にかかれるものじゃないなと未だに思っています。影響受けた人、たくさんいると思う。わたしもその一人です。借金玉さんもそうじゃないかなと密かに思ってはいるんだけど、どうなんだろ。誰か聞いてきてくださいなんて。まあ、それはいいんだ。このエントリの趣旨から始めよう。

事の発端は、ふと思い出したことでした。かつてmk2さんは、最初のブログで、感性についての話をしていました。経営するコンビニのバイトの子の話です。何分、数年前のことなので、魚拓もないし、正確には思い出せないのですが、そこでは子供のような感性が鈍る瞬間について書いてありました。わたしの記憶違いでなければ。それがものすごく印象的で、わたし自身の体験から見ても、非常に興味深いものでした。発端は、コンプレックスです。わたしは、今ではこうして文章などを書く機会があり、それなりにまともな振りをできていますが、実態としては、病気で生活は破綻しており、そのせいか、未だに大人の生活の様式に合わせられない部分がたくさんあります。内面的には、文字通り小さな頃のまま、大人になってしまいました。社会性は無駄にあるので、ほとんどバレませんが、日常生活では、とても大きな声で言えないことをたくさんしています。ガチです。詳細を書けないので、意味わかんないと思いますが。ごめん。そういうこともあって、わたしは、mk2さんが例のエントリを公開したときに、自分のことのように読みました。手前味噌で恐縮ですが、わたしもよく子供のような感性を持っていると言われます。それをふと思い出しました。このバイトの子、すごくわかる。わたしに見える世界も、既知のはずなのに、いつも真新しい発見に満ちていて、子供のように楽しんでいる。なるほど、子供のような感性と他人から言われている意味がよくわかった。思い上がりかもしれませんが、当時そう思いました。目から鱗でした。

でも、そう認識したとたんに、怖くなりました。なぜなら、そのエントリに出てくるバイトの子は、感性が鈍ったと書かれているからです。なるほど、わたしには子供のような感性があるらしい。でも、それはこのバイトの子のように、鈍ってしまう時が来るのか。それは怖いと思いました。なくしたくない。でも、エントリにあるように、人間が社会で生きていく限り、それは避けられないことかもしれない、と。答えを求めるように、何度も何度もエントリを読み込みました。それでも、やはり答えはわかりませんでした。

それから、何年も経ちました。正直、ほとんどエントリのことは忘れていました。思い出したのは、偶然です。きっかけすら忘れた。些細なことです。でも、こんなにも不完全な自分は、この先社会で生きていけるのだろうか。昔から、そう思うことが多かったですが、やってみると意外と何とかなるもので、感性はある程度無事なまま残りました。多分、あまり磨耗していないと思います。代わりに処世術は身に付きましたが。そのおかげで守れた気がします。まあ、でも、感性あっても、普通に生きてる分には、ぶっちゃけそんなに人生変わんないですね。本人にとっては普通のことだし、丹念に比較しないとほんとのところはわかんない気もします。普通って何って聞かれると難しいけど。だから、一種の呪いのように考えてた、あのエントリのバイトの子は、今どうしてるんだろうと思います。生きていく分には、鈍ってた方が楽ではあるんですが。この先が見てみたい。

運命って、何よ。

定期診察でした。調子が悪いので、一錠追加で終わりました。話の流れで、お医者さんに、「この病気になるなんて、一種の運命ですね」的なことを言われたんですけど、うん、わかるけど、もっとなんか別の言葉なかったのかな?!みたいな気持ちになりました。運命って言われたら、全部それで済んじゃうよなあと思いますが、まあ、それくらいしか言いようがないのも事実なので、難しいところです。そんな運命いらないですけど。まじで。わたし自身は、あんまり運命とか信じたことないですけど、この機会に信じた方がいいのか、三秒くらい悩んで、まあどうでもいいやと思いました。信じたところで治るわけでもないし。鰯の頭も信心からとは言いますが。それって、この場合も有効なの?有効だとしたら、一周回って、「治るのも運命です」って誇大広告出しときましょうかね。ほんとにそうなればいいんですけど。こればっかりはどうにも…。あ、それが「運命」かな。そういう意味なら、お医者さんの言ってたことも正しいですね。まだ細部まで解明されてない病気だから、ほんとはどうなのか、多分誰にもわからないけど。早く発見してほしいなあ。発見できたら、ノーベル賞ものなんですけども。我ながら、すげえ病気だな。運命か。