行けませんでしたー!やっぱりー!

タイトルにもちょっと書きましたが、祖母の誕生日のお祝いに行けませんでしたー!ちくしょー!かわりに、きったねえ字で手紙を書いて、母に渡しました。ちょっとでも喜んでくれると嬉しいけども、病気まじやだねえ。何もできないじゃないか。ねえ?困りましたね。

しかも、明日から三日連続で医者通いが始まります。全部違う科なので、お願いなので、全部合わせて一回で終わらせてくれませんか?!みたいな気持ちではあります。医療を受けられるだけでも、大変ありがたいことではありますが、お金がどんどん飛んでいくよー。幸運にも、貯金自体はまだ大丈夫なんだけど、財布が軽い。切ない気持ちになります。いつまでこの生活が続くかわからないから。貯金が尽きることが、今一番怖いです。

まあ、それはさておき、ツイッターにも書きましたが、今日はわたしの祖母の誕生日でもあり、終戦記念日でもあるという、非常に我が家にとっては、難しい気持ちになる日です。どのくらいお祝いすればいいのか、毎年悩みます。祖母は、戦中世代の人なので、どれだけ盛り上がっていても、毎年必ず戦没者追悼式の中継を見ます。実際のところ、祖母の親兄弟には、出征した人はいないのですが、親戚や友人、近所の人で出征して、亡くなった方はたくさんいるそうです。このことについては、祖母はあまり話したがらないので、詳細はよくわからないままですが、それもあってか、戦没者追悼式を文字通り、食い入るように見ます。あと、テレビで天皇皇后両陛下が写るのが毎年とても楽しみみたいです。今日も祖母はそういう感じなのかな。わたしも祖母の家に行きたかったなあ。

 

来世は…

病気の悪化で、昨日まで38度越えてたので、ユニゾンの新曲聴きたいのに、早すぎて、聴くのがとてもしんどい。たぶちさん、病人向けの曲作ってくれませんか…(無理)。

大体、森山直太朗さん聴いててもちょっとしんどいので、これは相当めんどくさい方向になってきたなと思う。今日はなんとか熱はないけど、明日の祖母の誕生日のために、なんとかすこしでも回復しないといけない。それなら、ブログ書くなよって話ですが。ですよねー!わかるー!でも、書きたいー!という気持ちに負けた。今日はツイッターにも色々書いたし、衝動に負けすぎ。

まあ、衝動と言えば、ロックに初期衝動なかったら、どうなんだろう?とは思いますが。しかし、わたしは、ロック聴いてるだけで、やってないので、ほんと関係ないんですけど。ちょっと言ってみただけというか…なんかすみません…。

とりあえず、生きるか死ぬかの病人やってるのしんどいので、来世は大気の塵になりたいです。死んだら、お墓とかいらないから、川縁で散骨されたいなーと思うお盆なのでした。なんだこのクソみたいなエントリは。

選べないよね。

広島のことだけ書いて、長崎に触れないのは、何だかフェアではない気がして、わたし自身は長崎には行ったことはないけど、今のわたしが書ける範囲で書くことにした。今は病気がひどいので、どう考えても無理だけど、いつか長崎にも行ってみたい。家族は長崎に行ったことあるけど、タイトすぎるツアーで、平和公園には行けなかったそうなので、一緒に行くのもいいかもしれない。休みが合えばだけども。いつになることやら。それまで頑張って生きなきゃなあと思う。病気に殺されてる場合じゃない。

体感的には、自分が小学生とか中学生のころより、原爆の日の特集番組って、かなり減ったなあと思うことがある。昔は、毎年、怖がりながらテレビを見て、もし自分がもっと前に広島や長崎に生まれてて、被爆していたらと考えると、なかなか寝付けなかった。ただ、たまたまわたしが生まれたのが、戦争よりもっと後で、たまたま広島や長崎ではなかっただけで、たったそれだけのことで、こんなにも違う人生を送っている。そもそも、生まれる時代も場所も、誰も自分では選べない。よね?スピリチュアルな方面の人にとっては違うかもだけど。まあ、わたしは正直スピリチュアル的なものは信じてないので、あれなんですけど。

みなさんご存じだと思うけど、長崎の原爆は、当初の計画では小倉に落ちる予定だった。昔、映画館でたまたま隣になったご婦人と世間話をしていたら、小倉出身の戦中世代の人で、長崎の話になり、天気が良ければ、自分が本当は被爆していたと思うと言っていた。その人は、言いながら、ずっと涙をこらえていた。それはもうその人のせいでは全くないのだけれど、長崎の人には、申し訳ない気持ちがあると言っていた。気の利いたことは何も言えなかった。ひとしきり話をして、握手をして別れた。今、その人がご健在かどうかもわからないけれど、未だにその言葉が忘れられない。

何でかわからないけど。

一番初めは、自分のことをアセクシャルだと思ってた。そのせいかはわからないけど、恋愛とか、全部物語の中の出来事だと思ってたので、友達に彼氏ができたとき、びっくりした。物語だけじゃなくて、ほんとに恋愛する人がいるんだ。何というか、目から鱗が落ちた感じだった。すごく衝撃を受けた。わたしどんだけ世間と乖離してるの?何見て生きてきたの?という、ある意味、嘘みたいな話だけど、ほんとのこと。こういう人間もいるんですよ。すごい少数派だとは思うけども。

その後、ここには書けないくらい色々あって、実は自分はバイセクシャルだったのかとわかったけど、それも数年したら、アセクシャルに戻ったなあという感覚がすごくある。この変化は、正直自分でもよくわからない。当然ながら、自分で選んだわけでもない。気づいたら、アセクシャル、また気づいたら、バイセクシャル、またまた気づいたら、アセクシャルになってた。

バリバリ現役の病人なので、薬の副作用で、一時的に三大欲求のバランスが崩れているというのもある。でも、全部そのせいかと言われると、違うと思う。さすがに医者じゃないから、正確なことは言えないけど、実感として。

つい最近まで、子育てをしたいと思う時期があった。特に、同性のパートナーと子育てがしたいと思ってた。でも、予想外に病気がひどくなってしまったので、遺伝するし、そもそも相手もいないし、という理由をくっつけて、あきらめる方向に来ている。この選択が正しいかはわからないけれど。とりあえず、わかるのは、今は無理だということだけ。将来的にどうなるかは、さっぱりわからない。まあ、人生なんてそんなもんか。

 

何か書きたいけど、書くほど陳腐になりそうで。

語弊を恐れず言うと、広島に初めて行ったとき、バスから降りるのが怖かった。このアスファルトの下に、どれだけの人が眠っているんだろう。原爆ドームを見ながら思った。苦しみの中、あるいは一瞬のうちに、消えていった人がたくさんたくさんいる。そう思うと、地面を踏むのが躊躇われた。だけど、バスを降りないわけにも行かないので、いつもよりゆっくり、ステップを踏んだ。それからもう10年以上経つけれど、未だにこのときの感覚を覚えてる。多分、一生忘れられない記憶なんだろうな。この日になると、いつも思い出す。

毎度毎度愚痴になってしまって申し訳ないけれど、一向に治らない病気で毎日のたうち回っていると、周りの人の悩みとか苦しみにうまく共感できないときがある。必ずしも共感しなくてもいいのかもしれないけど、なんかもどかしい。自分の限界を感じる。

その上、ああ、今日は広島に原爆が落ちた日だったと思うと、何というか、非常にやりきれない思いがする。わたしよりよほど苦しんで、生きたかったのに生きられなかった人がいる。たくさんいる。自分は何を思い上がっていたんだろうと思う。病気は治らなくても、しっかり生きなければ、と思う。

こんなの、エゴでしかない。実際に被爆された方にとっては、迷惑かもしれない。そう考えたりして、毎年、どうしても悩む。そして、いつも結論は出ない。

どうして?

ツイッターで度々書いてるけど、耳の調子が悪い。大音量とか、まじヤバいっす。些細なことで、ダメージ受けまくる。

行かなければいいとわかってる。でも、音楽が好きだ。映画が好きだ。舞台が好きだ。全部全部大好きだ。理屈抜きで、こうしたものに生かされてる。見なくても死なないけど、それらに全く触れない生活というのが、想像できない。わたしの場合、多分ゆっくり心が死ぬ。そういう切実な予感がある。

だから、耳栓は必須。大音量に曝されたとき、耳栓がないと確実に耳が死ぬので、いつも必ず鞄に入れてる。出かける前は、鞄に入ってるか、必ずチェックする。それくらいには、わたしにとって、大事なもの。

でも、耳栓してても、限界はある。突然の大きな音、長丁場、スピーカーの側の席。どれも相当ダメージを受ける。趣味と健康、どちらが大事かと言われると、健康と答えざるを得ない。どれだけ見たくても、もしくは、耳栓なしで見たいと思っても、当然ながら、健康には勝てない。これ以上、持病が増えるのは、とても危険。わかってる。もうほんと充分わかってる。

だけど、時々、何もかも顧みず、爆音を浴びたいなと思うときがある。想像だけで恐ろしいので、実際はしないけど。まあ、でも、そういう切実感はある。めんどくせえな、人間って。主語大きすぎ? 

沖縄に住んでるわけではないし、右とか左とか、そういう話でもないけども。

政治的な話になるので、本来的にはあんまり言及しないようにしていたけれど、ハクソーリッジを見たときに、感動というよりも違和感があった。実話を基にした映画だから、後半の舞台が沖縄の前田高地ということは当然だし、大体映画自体に文句をつけたいという意図はないのだけれど、あえて一旦そこから離れて、この映画を純粋に物語として分解してみると、これは別に舞台が沖縄である必然性はないかもしれないなと正直思った。ただ、自分の命を顧みない、手ごわい敵兵がうようよいれば、舞台は沖縄でなくても成り立つ気がした。実話なんで、そこに文句つけるのも、我ながらどうかと思うけれども。まあ、それは置いといても、確かに、世間で言われるように、戦争映画だけど、ジャップとか差別用語はそれほど言わないし、そもそも主人公の性格や信条的にも、戦争映画にありがちな敵兵に対する憎しみもほとんどなく、むしろある場面では積極的に助けるほどで、ほとんど価値中立的だった。でもなんか気になるのは、やっぱり民間人が一切出てこないこと。

映画を見たあとに、そこが気になって、YouTubeで見た体験談では、巻き込まれた民間人の方の話が出てきたのだけれど、前田高地にある先祖のお墓に隠れていたと。でも、そこを米兵が火炎放射器で日中ずっと焼いていたのだと言っていた。以下にリンク張っておきますので、ご参考までに。


戦後70年の地平から「前田高地の戦い」

この動画を見たときに、わたしはあまりにも沖縄戦に関して無知なんだなと思った。授業で習った沖縄戦って、どんな感じだったっけ?そもそも、昔、ひめゆりの塔とか行ったことあったなあと思ったのだけど、あまりにも他人事のような記憶しか出てこなかった。事実、わたしの家系には、沖縄に縁のある人は一人もいないので、沖縄戦の体験談を直接聞く機会がなかなかない。満州ならあったけど。でも、いたとしても、語りたくないという場合もあったかもしれないとも思う。推察するに、あまりに重すぎる体験だから。

とにもかくにも、左とか右とか関係なく、純粋に沖縄戦について知りたいと思った。上記のもの以外も、暇さえあれば、YouTubeでいくつか動画を見た。米国側の視点で作られたもの、民間人の視点で作られたもの、日本軍の視点で作られたもの、あとは沖縄戦はそもそも捨て石じゃなかったという動画も、左とか右とか関係なく、とにかく見た。それぞれに特色があって、ひとつの物を見てるのに、こんなにも見方が違うのかと驚いた。そして、ますます混乱した。沖縄戦とは、何だったのか。

動画だけでは限界を感じたので、まず、『失敗の本質』という有名な本の沖縄の部分も読んだ。この本は色々な読み方ができると思うけれど、わたしの場合は、沖縄本島の北側の飛行場が占拠されてしまったのがまずかったという知見が得られた。これは、少なくともわたしの見た動画には出ていなかった視点だった。

次に、Wikipediaで、牛島中将のページを読んだ。改めて、なかなかに評価の分かれる人だと思った。個人的に、一番不可解なのは、自決した日時などが諸説あること。そこで、佐藤優氏と故・大田昌秀氏の対談本(『沖縄は未来をどう生きるか』)を読んだ。ここでもやはり、諸説あることが、詳細に書かれている。わからないことはわからないままだったし、対談形式ではあるけれど、この本は沖縄の歴史がとてもよくわかるようになっていて、非常に興味深かった。何しろ、琉球処分前からの歴史も詳しく載っている。学校で習ったのは、本当に一部だけだったんだなと思った。個人的には、沖縄のことが知りたい人には、この本を一番最初に薦めたい。沖縄戦以外にも、なんと教育論にも使える。過疎の地域とかにも、役立つ事例が満載だし、あとは、本文中にも言及があったけれど、北方領土の返還交渉にも活きてくる。守備範囲すげえ。今の段階で、今年一番買って良かった本です。個人的には、お釣りがじゃらじゃら来てる。

最後に、まだ読んでいる途中だけれど、沖縄戦に従軍した米兵の息子さんが書いた洋書(BRINGING MULLIGAN HOME)も読んでいる。結構しんどい描写もある。なかなかページをめくる勇気が出ない日もある。でも、せっかく療養中で時間があるので、この本はぜひ読み終えたい。

もはや何を書きたいのか、話がとっ散らかりすぎて、申し訳ないことこの上ないけれど、ハクソーリッジから端を発し、沖縄戦をもっとわかるようになりたいなと思った。平和な時代しか知らないわたしには、今後この国がどうなっていくのが良いのか、何が正しいかまだまだ体感的にはわからないので、今年は沖縄戦のことを中心に勉強していきたい。そして、今は療養中で外出がなかなか難しいけれど、病気が良くなってきたら、もう一度沖縄に行きたい。多分、10年ぶりくらいかな?療養、頑張ります。