久しぶりの更新がこれかよって話ですが。

選挙、楽しかった。ボランティアとか行こうかと思ってたけど、調子が悪くて行けなかったので、ツイッターとかでずっと各党、特に個人的に面白い人だなあと思った、枝野さんの動向を追ってました。いや、なんか語弊があるような。わたしは枝野さんのストーカーか。今更だけど、街頭演説、行きたかったな。枝野フェスって言われてたけど、体感したかったな。

それはともかく、わたしにとっては、今年は特に祖母のことを考えた選挙でした。選挙後に即どうなるというほど、事態は切迫化してはいないと思うけど、せめて晩年くらいは安らかに生きていてほしいなという気持ちです。色んな立場の人がいるので、わたしは今こう思うというだけなんですが。ただ、若い頃戦争で、もし晩年も戦争だったら、どんなハードモードな人生なんだろう。すくなくとも、わたしは嫌だ。ごめん、結局はエゴか。

ただ、戦争は、憲法改正してもしなくても、起きるときには起きるし、巻き込まれるときは巻き込まれると思うんですけども、このへんはどうにも難しいですね。今の情勢で何が正解かは、長期的に見ないとわからない部分もあるし、常に正解を選べるわけでもないし。うん、何か言い訳っぽくなってきたな?

正直、かわいそうだなと思った。

色々トラブルがあって、自衛のために距離を取っている知り合いがいるけど、こないだたまたまネット上で暴言を吐いてたのを見た。今までの経験上、この人は関わると大変面倒なので、見なければ良かったと思った。

名指しというわけではないから、このまま放置するけど、発言を見た第一印象としては、あんまり好きな言葉ではないけど、コンプレックスがとてもとても透けて見えて、正直、「かわいそう」だなと思った。逆に言えば、それくらいしか感想を持てなかった。仮に、この人に名指しで罵倒されても、「かわいそう」という言葉以上に、何も感じないだろうなと思った。むしろ、「かわいそう」の無駄遣いみたいに思えた。

同時に、前にツイートした、自分より優れた人を見ると、ズルいと言う友達のことも思い出した。その人も同様にコンプレックスがものすごく透けて見える人だった。今から思えば、この人も「かわいそう」だなと正直思った。口癖みたいにズルいズルい言ってたけど、それ、相手がズルいんじゃなくて、うらやましいんじゃないの?それを認めたくない気持ちがあるんじゃないの?なんでよりによって選んだ言葉が、相手に問題があるようなニュアンスにも感じられる、「ズルい」なの?わたしは、未だにこの感性が理解できない。無理に理解する必要もないだろうけど、なんか見てて、個人的には、正直「かわいそう」に思える。

この人たちは、世間的には「かわいそう」の代表格と思われているであろう、わたしのような障害者に、逆に「かわいそう」って思われてるわけで、なんか不謹慎だけど、ある意味面白いなと思った。長年障害者やってると、個人的には、健常者のことがよくわからなくなるときがあって、健常者ってなんかもっと幸せなんだろうなと思ってた時期がつい最近まであったわけだけど、世間は奥深い。

ほんとにいるのかな?

やっとインパール作戦の特集を見て、あの作戦で、特に病気や飢えで亡くなった人たちは、たとえばだけど、ほんとに靖国にいるのかな?と思った。自分、右でも左でもない中途半端な人間なんで、靖国はたまに行くけど、完全に個人の見解だけど、なんだかあの人たちがここにいるとは正直思えなかった。霊の存在とかあんまり信じる方ではないけど。矛盾してますけども。

大体、あの作戦で上官として現場で色々無茶振りしてた人もいるだろうし、そこに一緒に合祀されて嬉しいのかな?と、正直疑問に思った。わたしだったら、やだなあ。インパール作戦に限った話じゃないけども。お前のせいで死んだぞとか言ってしばき倒したい上官とか、大半の兵士にはいるだろう。わたしだったら、間違いなく、あの世でしばき倒すよ、たぶん。

まあ、それは置いといても、靖国はたまに行くくらいで、あんまり事情に通じてるわけでもないので、このエントリには間違ったことを書いてるかもしれないけれど、番組で現地の村の人が言ってたみたいに、まだ現地で成仏できてない人がたくさんいるだろうなと思ったし、それ以前に、いきなり戦地にされて大変だっただろうに、現地の人たちが優しくてびっくりした。過去に参拝したときは、あんまりそういうことは考えてなかったけど、靖国は、ほんとにそういう人たちを救えてるんだろうか?

養子になる?

祖母から、わたしを養女にしたいと申し出があった。と、最近聞いた。もちろんと言うか、何と言うか、両親は断った。祖母も、当然だよねと納得したそうだ。

ただ、これは、我が家にとっては、ある意味、非常に懐かしい申し出ではあった。なぜなら、わたしの母が生まれたとき、子供のなかった祖母の姉は、母を養女にしたいと申し出たことがあったからだ。

祖母の姉のことをすこし書いておくと、彼女はあの時代には珍しく、国際結婚をしたそうだ。もともと祖母の実家は、裕福な商家だったため、進駐軍に接収されていたこともあり、祖母たちは家に立ち寄る米兵たちの服の洗濯をしていたことがあったらしい。洗濯の礼に食料をもらう機会が多く、戦後の食糧難の時代に、幸運にも特に飢えることもなく、米兵にもらったコーヒーとピーナッツクリームが気に入った曾祖母は、あの時代にしてはかなりハイカラな食事をし、きわめて米兵と平和的に同居していた。

件の祖母の姉はPXで働いており、そこで出会ったアメリカ人と結婚し、渡米したが、子供ができなかった。そのため、わたしの母が生まれたときに、養女にしたいと申し出た。祖母は即座に断った。わたしが生まれる、はるか前の出来事だけど、そう聞いている。

もし、母が養女になっていたら、と考えたことがある。そうなれば、わたしは、多分、100%生まれていない。しかも、件の祖母の姉は、渡米後、しばらくして病気になり、帰国して治療を受けたけれど、ほとんどかいなく亡くなったので、当時乳幼児だった母は、祖母の姉のことを全く覚えていない。不思議な巡り合わせだと思う。

それもあって、祖母がわたしを養女にしたいと申し出たとき、祖母自身も、件の祖母の姉との出来事を思い出したそうだ。あのとき、自分が断ったように、母も断るだろうと。

わたし自身は、母から話を聞いたとき、祖母の養女になっても構わないと答えた。本当に単純な理由だけれど、新しい名前で生きていくのも悪くないと思った。まあ、それは冗談半分の理由だけれど、祖父に先立たれて、祖母が寂しがっていることを知っているから、わたしがいることですこしでも気が紛れるなら、それでもいいと思った。けれど、当然ながら、母は反対した。祖母も納得した。それを聞いて、歴史は繰り返すのかなあと、なんとなく不思議な気持ちになった。えっと、これ、オチついてます?

違うんじゃないかなあ。

リアルで、とある人に、あなたなんて戦争の被害を受けた人より全然ましじゃないと言われたんですけども、その比較って有用なのか、ここ数日、ふと考えてしまいます。

うまく言えないけど、それはかえって戦争の被害を受けた方に失礼では?と思うこともあります。戦争の被害を受けていないわたしの方がましだと思うということは、戦争の被害を受けた方にレッテルを貼って、あの人たちよりましだったから良かったとか思うことに繋がると思うんですけど、それって、たとえば差別とかと本質的にどう違うんだろう?自分よりましと思うということは、比べる相手を自分より下に見てるのでは?穿ち過ぎですかね、すいません。

もちろん、戦争の被害を受けた方は、当然ながら、わたしの想像を越えるほど、本当に本当に大変な体験をされた方々です。でも、お前は戦争の被害を受けた方よりましなんだから、つまり、お前レベルの人間は大したことない(から、黙れ)と言うのは、何かが違うのでは?と思ってしまいます。大体、実は、そういうことをわたしに言ってきた人が、そもそも戦中世代では全くないというところも、個人的には引っ掛かります。言葉の重みが違いすぎる。

そもそも、相手のことを批判するために、自分と全く関係ない、戦争の被害を受けた方々のことを持ち出すというのも、何かおかしくないかと思ってしまいました。病気と戦争って、同列に並べうるものですか?もしそうだとしても、今度は、そうしたら、世にあるほとんどの病気のことなんて、話せなくなってしまうんではなかろうかと思います。それは、口封じとどう違うのか?多分、そこまで考えての発言ではないと思いますが…。

病気持ちの人だと多分お分かりだと思いますが、わたしが思うに、病気のつらさを話せないことって、結構しんどいことだと思います。わたしは、フォロワーさんや読者さんにはほんと申し訳ないけれど、ツイッターやここでよく病気の愚痴を吐かせてもらってますが、愚痴を吐ける場や関係性があるというのは、本当に助かります。特に、先の見えない闘病生活を続けていると、すこし愚痴を吐くだけで、わたしの場合、かなり気持ちが楽になります。だから、リアルで、わたしの病気をよく知りもしない人に、戦争の被害を受けた方よりましなんだから、と言われたのは、かなりびっくりしました。その人なりの励まし方なのかもしれませんが、ほんとびっくりするくらい励まされた気持ちにはなれませんでした。気持ちをうまく汲めなくて申し訳ないけど、その励ましはなくても良かったなあ、と正直思いました。わがままかな。

音楽が聴けない。

病状が悪化してきたせいか、体が音楽を受け付けなくなってしまった。あんなに毎日毎日熱心に聴いていたのに、時にはちょっとだけ作曲っぽいこともしてたのに、わたしは音楽がないと生きていけないと思ってたのに、何も聴けない。からっぽになったみたい。りえふーか。

10DANCEとわたし。

悲しいときに悲しいと言えるほど、貴いことはないなと思うのですが、皆さんはいかがですか?なぜこんな書き出しをしてしまったか、実は自分でもびっくりしていますが、井上佐藤さんの10DANCEという漫画を改めて読んで、この作品に随分助けられたことを思い出しました。癒しを全面に押し出した作品ではないどころか、社交ダンスのお話なんですが、特になんか心が疲れてるとか、元気でないなあというときに、面白いし、笑えるし、あと、ライバルと切磋琢磨みたいなお話が好きな人にも、すごいおすすめです。BL要素苦手じゃない人は、ぜひ。多分、読んで損はしないと思います。わたしは、移籍前から読んでましたが、改めて移籍後の新装版買って、病気でつらいとき、よく助けてもらったなあという記憶を懐かしく思い出しました。今も、先の見えない闘病生活に落ち込むと読みます。なんか元気になれるというか、あとは、もう病気に負けそうというときに、いや、やっぱりわたしも頑張って生きようという気持ちになります。人生頑張れという主張をする作品ではないのですが、ダンスを頑張る姿を見ていると、わたしの場合、自然と背筋が伸びますねえ。ほんとありがたい。今の闘病生活では、毎日、忍耐と我慢の連続ですし、好きなことも思ったようにはできません。だから、そこに、読者に向けて頑張れ頑張れと声高に主張する作品は、なんか読んでてつらいんですよね。努力でなんとかなるなら、もうわたし治ってると思ってしまうので、余計落ち込みます。でも、この漫画は、主人公たちがすごい頑張ってるんですけど、個人的には、それとはスタンスが違うように感じます。だから、読めるんだろうなと思います。察するに、努力が押し付けがましくないんですよね。だから、わたしは、なんかいい感じに背中を押してもらえるなあと思います。まったくもって、単なる個人の感想ですが。この世界にずっと浸っていたいなあと思います。ほんと三巻も楽しみにしています。連載が再開されて、ほんと良かったです。移籍前からコミックス派なので、もう続きが出ないのかなと思っていたので、すごい嬉しいです。